ひらめきは「アドベンチャーな経験」と 「自由な環境」から生まれる。

人の心をワクワクさせる。そんな提案を数多く生み出してきたが、いつもそのひらめきの源泉やロジックは謎に包まれている。社内からも引く手あまたの本荘(ほんじょう)。若手ライターからも「本荘サンみたいなクリエイティブをやりたい」――そんな憧れの目を向けられることも珍しくない。そんな彼のルーツを辿る。

偶然からはじまった、モノを書くということ

――そもそも、なぜ制作マンになろうと?

最初は、全然なろうとはしてなかったです。
僕の人生って結構ふらふらしてるっていうか……。
モノを書くこととの原点は専門学校時代の偶然の出会いかな。
高校の進路を考える時期、「自分は何がやりたいんだろう?」って悩んだんですよ。
そのときファッションに興味があって。
東京にも出れるしいいかなぁ、ってノリで服飾の専門学校に進みました。

それであるとき、キャンパスに『POPEYE (ポパイ)』(ファッション誌)のスナップ部隊が来てて、声かけられて。
そのときのアンケートで『将来なりたいものは?』って質問に“雑誌の編集!”って書いたんですよ。
そしたらそのスナップ部隊のエディターから「一緒にやらない?」って声がかかったんです。
そこからかな。
学校を卒業してからアシスタントみたいな形でそこに入って。
だから、僕のモノを書くことの原点は雑誌なんです。

今の若い人たちの情報源って、SNSとかネットが中心になってますけど、僕の学生時代っていうと雑誌が情報源。
原宿のストリートスナップとかみて、かっこいいなって思ってましたね。
だから雑誌には昔から興味がありました。

でもアシスタントだからお金もらえないのが不満で。
そこから今度はバイクの専門誌を作っている編集のバイトを紹介してもらいました。
バイクが好きだったし、いいじゃん!って。
そこから社員になって、土日関係なく怒涛の働きぶりでした。

――ファッション業界に進まなかったのはなぜ?

うーん、先が見えちゃったというか。
服飾の専門卒業して、アパレルの販売員になって~…っていうのが自分的にはつまらないなと。

就活の時期になって、今まで一緒に遊んでいた周りも一気に真面目ムードに切り替わって。
そのレールに沿っていく感じがもうダメ(笑)。
もうちょっと暴れたい!みたいな気持ちが自分にはあったのかな。
でも一度、みんなに前ならえしてみようかな?ってファッション系の会社の面接を一社受けたんですけど、受からなくて。
そこで踏ん切りついたっていうのもあるかも。
でも、もし受かっていたら全然違う人生があったのかもしれません。

きっかけはコンプレックスを打ちのめすことから

――本荘さんは一度アメリカに留学してるとか?

高校の頃、遊びすぎてて。
英語で落第しかけたんですよ。
その頃からずっと英語に苦手意識があるというか。
社会人になってからも、心のどこかでそれがモヤモヤしてたのかな。
それで留学したいなと思っていたんです。

そんなとき、母校の先輩から飲みの誘いがきて、そこに当時先輩の同僚だった、現在の妻もいたんです。
そしたら先輩に「この人留学してたんだよ。英語教えてもらえば?」って。
そこから妻と交流ができたわけです。

そんな流れで留学が現実味を帯びてきて。
でも雑誌編集って1カ月タームでずっと忙しくて息つく間もないから、留学準備なんて到底できない。
だからバイク雑誌の仕事はスパッと辞めましたね。
そこからは、寝る以外はバイトしまくって資金準備。
Wワークもしたし、治験、交通量調査、深夜に紙の裁断をする謎のバイトとか…まあ色々やりましたよ。
その留学準備中のバイト先の一つにディップがあったんです。
だから僕が初めてディップに入社したのは25歳くらいだったかな。
当時の上司は佐々木さんと鵜飼(うがい)さん。

――念願の留学でコンプレックスは解消できましたか?

2年間ニューヨークにいて、その後半年間は世界中を旅しました。
メキシコ、南米からヨーロッパ、そこからモロッコ、インド、東南アジアまわって、韓国に行って帰国。
最初の1年は死にたかったです。
言葉通じないし、悔しい思いもたくさんしたし。
2年目からだんだん楽しくなってきて、現地の友達と釣りしたり、BARに飲みいったり。
ネイティブともコミュニケーションとれるようになったので、自信がつきましたね。
楽しいからもっといたかったんだけど、当時彼女だった今の妻に「帰ってこないと別れる」って釘さされてたので、日本に戻ってきました(笑)。

帰国してからは、10人くらいの制作会社にコピーライターとして入社。
クライアントと直で繋がっていて、パナソニック、ソニー、ヤマハとか大手オーディオ商材のマス広告制作がメイン。

で、たまたまだったんですけど海外事業部もあって。
そこで留学経験が活きましたね。
全然その会社を辞めるつもりはなかったんだけど、あるときディップのバイト時代にお世話になった鵜飼さんたちと飲む機会があって。
序盤はお互いの近況報告会だったのですが、気づいたら「うちに戻ってきなよ!」と口説かれてまして。

一緒に働く人や、会社制度の懐の深さに感謝。

――本荘さんからみたディップの印象って?

いい意味で、好き勝手なことやらしてくれるっていうか。
それこそバイト時代、特に求人広告を書いたことのない若造のことも褒めてくれて。
いろんな表現があっていいんだな、っていうのを感じさせてくれましたね。

それは今の自分の立場にも言えるのかも。
自分はマネージャーに昇格させていただいたけど、申し訳ないけどマネジメントにあまり興味がなくて。
そういう指向も踏んで、プレイヤーでいさせてくれるのはありがたいです。

あと、家庭を持って、子どもが産まれて思うのは、ディップってすごく守られてる環境だなと。
土日出勤もないし、泊りがけもない。
フレックスタイムが導入されていることもあって、子どもの急病時は親として保育園にお迎えも行けますしね。
色々な環境にいたからよくわかるんですが、普通に家族サービスができるのって制作の仕事ではめずらしいと思います。

interviewee

本荘 裕樹

人材サービス事業本部クリエイティブ統括部広告制作部総合制作課マネジャー。2015年11月入社。ファッション誌やバイク誌の編集を経てディップに入社。その後アメリカ留学や制作会社でのコピーライター経験を経てディップにカムバック。ビール好き。

staff

村田 崇

dip peopleの元編集長。ディップで働くメンバーをたくさんの人に知ってもらえるよう、2019年にサイトリリースした。2020年2月にディップを卒業。

冨岡 萌永子

社風に惹かれてディップへ。入社から広告制作部ひとすじ。ライティングから取材撮影、企画提案などをしている。ヘビと熱帯魚の飼育に熱心。

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