バイトルの営業から、RPAのエンジニアへ。ディップの新しい武器をつくりたい。

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大島 史裕
AI・RPA事業本部 プロダクト統括部 プロダクト開発部 プロジェクトマネジメント課 ▼詳細

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高橋 正憲
商品開発本部 クリエイティブ統括部 制作戦略推進部 制作企画課 ▼詳細

キャリア開発支援制度のひとつである「自己申告制度(他部署や同部署他エリアなどへの異動希望を申し出ることができる制度)」を利用し、営業からAI・RPA事業本部のエンジニアへと異動した大島。なぜ異動を志望したのか、異動後はどのような業務を行っているのか、聞いてみました。

バイトルの営業として約700回ほど求人広告を掲載。だからこそ芽生えた異動の気持ち。

高橋:大島さんはもともと営業をされていたとか。

大島:2015年4月に新卒としてディップに入社し、町田営業部で営業をしていました。AI・RPA事業本部に異動するまでの4年半の間に、だいたい約700回ほど求人広告を掲載してきました。

高橋:すごい。そこからなぜAI・RPA事業本部に?しかも営業職ではなくエンジニア職としての異動を希望されたとか。

大島:自ら異動希望を申し出ることができる「自己申告制度」を利用し、AI・RPA事業本部のエンジニア職への異動を希望しました。

高橋:もともとエンジニアへの興味はあったんですか?

大島:入社前からやりたかったというわけではないですね。というより、正直なところ自分がやりたいことが見つからないまま就活、就職してしまったというのがあって。ディップに入り、営業として仕事をしていく中で、徐々に自分が本当にやりたいことは何なのかが見えてきた感じですね。

高橋:なぜエンジニアだったのですか?

大島もともと何かを突き詰めたり、外から吸収したものを自分の中で組み立て、カタチにするというのが好きだったんです。たとえば趣味だと写真を撮ったり、動画をつくったり、ダンスしたりするのが好きでした。誰かとやるというよりは、1人で黙々と取り組み、それをSNSなどで誰かに見てもらえるのがうれしいというか。そういった自分の志向と当てはめたときに、営業という仕事よりはエンジニアのほうが向いてるんじゃないかという想いが出てきました。

高橋:なるほど。他には何かありますか?

大島:営業キャリアの中で「自ら商品を改善して企業課題を解決したい、またそれを改善案で終わらせずに商品としてカタチにしたい」という思いが芽生えたからです。

たくさんのお客さまを担当し、「原稿を工夫する」「掲載プランを上げる」「待遇面を変える」といったアプローチだけでは採用が実現できない経験をしてきました。その際に、位置情報を活用した検索ツールや、YouTubeを活用した仕事内容動画のプラットフォームなど、自分で商品の仕様を変更して課題を解決したいという思いが出てきたんです。でも一方で、自分には何もプロダクトを開発するスキルがないことも痛感しました。そんな経験が、エンジニアになって「自身で商品を改善し、カタチにしたい」というキャリア選択につながりましたね。

また、バイトルのエンジニアではなくRPAのエンジニアを選択した理由としては、企業の業務課題に対して「人」で解決するスキルだけでなく「業務自動化」することで解決するスキルを身につけたかったからです。

異動から3週間後には、実装のコンテンツを担当。

高橋:異動してからはどのような仕事を?

大島:最初の半年間はエンジニア、いわゆる「ロボットクリエイター」と呼ばれる仕事をしていました。

高橋:RPAの開発というとあまりイメージがつかないのですが…ロボットクリエイターというのは具体的に何をする仕事なんですか?

大島:RPA専用のソフトウェアを使って開発します。ディップだと今は「コボット」というオリジナルのソフトウェアを使って開発しますね。

高橋:いわゆるコードを書いたりするのですか?

大島:エンジニアというとパソコンにコードを打ち込んでプログラムを開発するCUI(Character User Interface)をイメージするかもしれませんが、RPAの場合はGUI(Graphical User Interface)というインターフェースになっています。一行ずつコードを書くのではなく、自動化したい作業に沿ってボックスを並び替えたり、「クリックする」「ループする」などの機能を指定したり。いわゆるCUIのエンジニアよりは、未経験の人でも理解しやすいとは言われています。

高橋:では割とすんなり覚えられましたか?

大島:最初は難しかったですね。ただ、異動の2ヵ月前からRPA開発のトレーニングメニューをこなしていたり、エンジニアへの異動を考えはじめた頃からRuby on Railsなどは独学でも勉強していました。なので変数やアルゴリズムがどういったものかは事前に勉強していたので、思ったよりはスムーズだったと思います。

とはいえ、異動から3週間後には実装するコンテンツが振られたので、けっこう大変でしたけど(笑)

高橋:それはどのように乗り越えられたのですか?

大島:とにかく周りに聞きまくりましたね。もちろん周りの先輩も忙しいのですが、「気を遣ってられない」と思ってガンガン聞いていきました(笑)

開発現場に身を置くことで、商品を開発する全体のフロー(営業→要件定義→設計→開発→テスト→導入→運用/CS)を学べたことはとても大きいです。また、顧客にサービスを提供する事が前提となっている開発なので、さまざまなインフラ・セキュリティ技術も学ぶことができました。プログラミングスクールでの自学習では学べなかった現場ならではのことがたくさん学べましたね。

PGのままではやりたいことができない。自らPLを志願。

高橋:今はロボットクリエイターではなくプロジェクトリーダー(以下PL)を担当されているとのことですが、その経緯は?

大島:異動してから2つのプロジェクトを経験し、その後2019年の2月頃に「不動産コボット」のプロジェクトにアサインされました。当時は長谷川さんがプロダクトマネジャー(以下PdM)で、もう1人別の方がプロジェクトマネジャー(PjM)につき、僕はその2人の下でプログラマー(以下PG)として参加しました。

ただ、もともと「顧客の課題を解決できる製品を自らつくりたい」という想いがあったので、自分がPGでいる以上、やれることに限界があるというのも感じていて。というのも、商品の要件や仕様はプロジェクト管理者やSE(システムエンジニア)が設計します。PGはそこでできた設計書をもとにプログラミングをするのが仕事なので、商品の仕様に関わる機会があまりありません。なのでプロジェクトにアサインされた段階から、PGという仕事におさまらず、自ら上流の仕事を巻き取り、上に上がろうとは思っていました。

高橋:なるほど、具体的には?

大島:プロジェクト内には営業経験のある人が自分しかいなかったので、開発業務と並行しながら顧客と接点を持ち、課題感のヒアリング、要望の吸い上げなどを行っていきました。それを開発チームに伝え、新しいロボットや、新機能などを追加していきましたね。

高橋:そこで営業経験が役に立ったのですね。

大島:その功績が認められたのか、PGとして動いていたのは4月頃までで、5月以降はいわゆる管理系のポジションにいましたね。そして9月から正式に「不動産コボット」のPLを任せていただけるようになりました。

新機能追加、運用の改善。自分発のアイデアで進めていける。

高橋:今はPLとしてどのようなことに取り組まれているのですか?

大島:1ヵ月ごとにサイクルを回すアジャイル開発をしているので、その月の開発スケジュールの作成、リソースの配分などですね。また、都度リリースする商品の開発内容の検討・選定を行っています。新たな追加機能や改修項目について、顧客・営業・開発・運用のさまざまな要望を踏まえ、他チームと連携し、方針を決め、プロジェクトを推進しています。

高橋:大島さんから見て、AI・RPA事業本部の良さとは?

大島営業、開発、事業企画のメンバーがひとつのオフィスに集まり、プロジェクトの全体像がきちんと見えていることですかね。バイトルの営業時代は営業だけで1500人近くいたので、「営業は営業」「プロダクトはプロダクト」という状況でした。でも今は商品の中身も営業と折衝しながら決められるし、開発の僕らも売上は常に把握しているし、現場にどんな課題感があるのかも分かっている。そしてそれを把握した上で開発、運用と連携しながら「こういう風にしよう」と全体像を描くことができるので、そういったところが自分の性にも合っています。それに、「こうしたい」がすぐに実現できるところがいいですね。

高橋:いちばんのやりがいは何ですか?

大島:やはり自分で要件を定義し、実装し、課題が解決できたときですね。PLになってからよりそのプロセスを実感できるようになったので、今はとてもやりがいがあります。機能追加、運用の改善などを自分発で進めていける、それがいちばんのやりがいです。

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大島 史裕

AI・RPA事業本部 プロダクト統括部 プロダクト開発部 プロジェクトマネジメント課 2015年新卒入社。町田営業部にて営業を経験後、2019年9月に自己申告制度にてAI・RPA事業本部に異動。エンジニア(ロボット)を経て、現在は「不動産コボット」のPLを担当。

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高橋 正憲

商品開発本部 クリエイティブ統括部 制作戦略推進部 制作企画課 3代目dip people編集長。2008年に新卒で入社し、進行管理、広告審査室、制作ディレクター、管理職などを経験。2020年4月より現職。