文系出身、プログラミング歴半年でエンジニアへ。大規模プロジェクトを牽引する、彼の成長の原動力とは。

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奥野志洋
バックエンドエンジニア ▼詳細

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岩城 茉優
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就職活動、何から始めたらいいんだろう…文系だし、専門的なスキルもないし…
そんな悩みを抱える学生の皆さんに、ぜひ知ってほしい先輩社員。ディップ株式会社でバックエンドエンジニアとして活躍する奥野志洋さんです。彼は大学3年生の春まで、プログラミングに触れたことがありませんでした。経済学部に在籍し、周りの友人たちが営業職を目指す中、彼が選んだのは「エンジニア」という道でした。入社からわずか2年。彼は今、会社の主力サービス全体に関わる大規模なプロジェクトで、その中心的な役割を担っています。

文系出身、プログラミング歴半年だった彼が、なぜディップでこれほどの成長を遂げることができたのか。その軌跡を辿ると、これからのキャリアを考える上で大切なヒントが見えてきました。エンジニアという仕事のリアルな面白さ、そしてディップならではの挑戦できる環境について、詳しく伺います。

兄への憧れと、自由な働き方への渇望。僕がエンジニアを目指した、大学3年生の春。

岩城:本日はよろしくお願いします!まず、奥野さんがエンジニアを目指したきっかけから教えてください。大学3年生からプログラミングを始めたとお聞きし、驚きました。

奥野:はい、よろしくお願いします。僕がプログラミングを始めたのは、大学3年生の春です。周りと比べると、かなり遅いスタートだと思います。経済学部にいたので、周りの友人は営業職を志望する人がほとんどでした。 僕も就職活動を目前にして「自分は何をしたいんだろう」と考えたとき、ふとプログラミングに興味を持ったのが始まりです。

岩城:周りが営業職を目指す中で、なぜエンジニアという専門職に興味を?

奥野:理由はいくつかあるのですが、一番大きかったのはエンジニアである兄の影響です。 兄がずっとリモートワークで、時間や場所に縛られずに働いている姿を見て、「自由な働き方ができるっていいな」と漠然とした憧れがありました。それに、もともとPCゲームが大好きで、インターネットに触れている時間が長かったんです。 だから、PCを使って何かを創り出すことへの抵抗感はなかったですね。就職活動では、目に見える形で自分のスキルを積み上げていきたいという気持ちが強くて。 そう考えた時に、「自由な働き方」と「スキルが身につく」という2つの軸が、僕の中でエンジニアという職業に繋がりました。もう、ほとんどエンジニアに決め打ちで就活をしていましたね。

岩城:すごい決断力ですね!でも、実際にプログラミングを学んでみていかがでしたか?

奥野:まずはYouTubeの動画教材を見ながら、問題を解くようなアルゴリズムの勉強から始めました。 やってみると、これが意外と面白くて。「これなら続けられそうだな」と感じたのが大きかったですね。そこから独学で、半年くらいかけてWebアプリケーションを一つ作ってみることにしたんです。 今と違って、当時はまだ気軽にAIに質問できるような環境ではなかったので、エラーが出たらひたすら自分で調べて解決するしかありませんでした。もちろん、エラーで何時間も苦しむこともあって辛い時もありましたが、それ以上に「楽しい」という気持ちが圧倒的に強かったです。義務感ではなく、純粋に楽しんで取り組めていました。 この経験が、「エンジニアとしてやっていきたい」という気持ちを確固たるものにしてくれました。

理想は自社プロダクトの“深いところ”へ。ディップで見つけた、成長への期待

岩城:独学でアプリまで作られたのはすごいですね。その経験を経て、どのような軸で就職先を探していたのでしょうか?

奥野:軸は明確でした。一つは「自社でプロダクトを持っている会社」であること。 期間が決まっているプロジェクトに関わる、というよりは、一つのプロダクトに深く、長く携わりたいという思いがありました。 自分の会社のプロダクトなら、より気持ちを込めて開発できるし、サービスのコアな部分に関われるのではないかと思ったんです。もう一つの軸は「多くのユーザーがいるサービス」であること。 自分の仕事が、たくさんの人々に影響を与える。そんなスケールの大きな仕事がしたいと考えていました。その中でディップは、「バイトル」という巨大なサービスを自社で開発・運営している点が非常に魅力的でした。また、選考過程で「若手でも積極的にチャレンジできる環境だ」と感じられたのも、入社を決めた大きな理由です。 ここなら、エンジニアとして大きく成長できそうだと期待していました。

岩城:なるほど。その期待を胸に入社されたわけですが、実際に働いてみていかがでしたか?ギャップなどはありましたか?

奥野:正直、最初の半年は少しギャップがありましたね。 入社前は、すぐにバリバリ開発ができるとイメージしていたのですが、最初に任されたのは運用・保守といったタスクが中心でした。例えば、テスト業務。僕が学生時代にやっていた個人開発では、作って動けばOKでしたが、企業としてサービスを運営するには、品質を担保するためのテストが不可欠です。自動テストに加えて手動での確認もしっかり行っていて、「大企業の開発ってこうなっているんだ」と驚きました。でも、この経験があったからこそ、重要な学びがありました。学生の時の「作って終わり」の開発とは違う、「サービスを永続的に提供し続け、改善し続ける」ということの本当の意味を理解できたんです。 運用や保守といった、地道に見える仕事がいかに重要か。これがエンジニアの仕事のもう一つの側面なのだと、身をもって知ることができました。

バックエンドの枠を越え、フロント、そしてインフラへ。AIと共に加速する、領域横断のキャリア

岩城:入社後のギャップから大切な学びを得られたのですね。そこから現在に至るまで、どのようなキャリアを歩んでこられたのですか?

奥野:この2年間で、本当に色々なことを経験させてもらいました。最初は「はたらこねっと」のアプリの裏側を支えるAPIの開発を担当していました。 その後、チームの体制変更を機に「バイトル」の新しいサービスである『スポットバイトル』のチームへ。ここでは、クライアント様が使う管理画面の開発を担当し、バックエンドだけでなく、ユーザーが直接触れるフロントエンドの開発にも挑戦しました。そして現在は、『スポットバイトル』のシステム全体をより良くしていくための「リアーキテクチャ」という大規模なプロジェクトに参加しています。 ここでは、バックエンドの開発はもちろん、サービスを動かす土台となるインフラの設計・構築にも関わっています。

岩城:バックエンドエンジニアとして入社して、フロントエンドやインフラまで!すごいスピードで領域を広げていますね。

奥野:そうですね。自分でも驚いています(笑)特に最近は、AIの進化によって、新しい分野を学ぶハードルが劇的に下がったと感じています。以前は分厚い本を読んだり英語のドキュメントと葛藤格闘しなければなりませんでした。でも、AIに「これってどういうこと?」「このコードを解説して」と聞くだけで、最初の理解を助けてくれるんですよね。今でも書籍やドキュメントは読んでいますが、すぐに聞ける先生のような存在が出来たのは大きいです。もちろん、AIの言うことを鵜呑みにするわけではありません。独学時代に、自力でエラーを解決するために必死で調べた経験があるからこそ、「何が分かっていないのか」「どこを重点的に調べるべきか」が分かる。 最終的にコードを読んで、その正しさを判断するのは自分自身です。 AIはあくまで強力なサポーター。このサポーターのおかげで、バックエンドという自分の主軸は持ちつつも、他の領域へスムーズに挑戦できている感覚があります。今後はフルスタックに近いエンジニアを目指したいと思っています。

岩城:なぜ、そこまで領域を広げようと思ったのですか?

奥野:『スポットバイトル』のチームに移ったことが大きなきっかけでした。チームでは、スクラムという開発手法を取り入れているのですが、理想はチーム全員が領域の垣根なく助け合える状態です。しかし、当時は「バックエンドはこの人」「フロントエンドはこの人」と役割が固定化してしまっていました。 これでは、誰かが休んだ時に開発が止まってしまったり、お互いのレビューができなかったりと、チームとして非効率です。何より、僕自身が「自分が作ったバックエンドの処理が、どうユーザーに届いているのかを知りたい」と強く思うようになりました。 サービス全体を理解してこそ、より良いものが作れるはず。そう考えて、フロントエンドのタスクにも自ら手を挙げました。

システムの心臓部「リアーキテクチャ」で目指す、未来の当たり前。

岩城:現在担当されている「リアーキテクチャ」は、特に難易度の高いプロジェクトだとお見受けします。具体的にはどのようなことをされているのですか?

奥野:一言で言うと、「サービスの設計図を、未来のために描き直す」仕事です。以前の『スポットバイトル』のシステムは、例えば「ワーカーさんが使うアプリ画面」「クライアント様が使う管理画面」「ディップ社員が使うサポート画面」というように、画面ごとに別々のバックエンドが紐づいているような構造でした。そのため開発していく中で複雑性が増してしまったり、同じ業務の処理が色んな場所にあることで施策を行う際の影響範囲が大きくなってしまうなどの事象が発生。把握漏れの恐れやリリースのタイミングの調整などの問題も出てきていました。このような問題を根本から解決するために、私たちは画面中心の設計をやめ、「求人」「勤怠」「給与」といった”業務”を中心とした設計に作り変えています。

岩城:それは非常に重要なプロジェクトですね。奥野さんはその中でどんな役割を?

奥野:企画職であるプロダクトオーナーも交えて、まずは業務そのものを一つひとつ分解し、整理するところから始めました。そして、その整理された業務単位でデータの保管場所であるデータベースを分割するとともに、さまざまなところに散らばっていたロジックを集約するよう設計し直しています。バックエンドの仕事は、ただ言われた通りにデータを持ってくるだけではありません。 どうすればシステムが複雑にならず、長期的に安定して、かつスピーディーに開発し続けられるか。その根幹となる”設計”から関われるのが、この仕事の面白いところです。 複雑なシステムをシンプルに整理していくことで、開発スピードが上がり、結果としてより早くユーザーに新しい価値を届けられるようになります。このプロジェクトでは、インフラの構成も自分たちで考えて、Terraformという技術を使ってコードで構築しています。 通常は専門のインフラチームにお願いすることも、自分たちでやる。開発チーム内で完結することで、圧倒的なスピード感を実現できるんです。 ディップには、そうした挑戦を後押ししてくれる文化があります。

技術力だけが正義じゃない。ユーザーと業務を知ることで、真の価値提供が始まる。

岩城:お話を聞いていると、仕事の面白さの捉え方が入社前後で変化したように感じます。

奥野:まさしくその通りです。入社前は、「とにかくすごい技術を身につけたい」「技術力こそが正義だ」と考えていました。でも、実際に働いてみて、その考えは大きく変わりました。もちろん技術力は大切です。でも、それだけではダメなんだと痛感しました。 最も重要なのは、その技術を「何のために使うのか」、つまり「業務への理解」です。このサービスは、誰が、どんな状況で、どんな問題を解決するために使っているのか。 その背景を深く理解していなければ、いくら技術力があっても、本当に価値のあるものは作れません。業務の解像度が低ければ、設計を変えていくことの重要性にも気づけなかったかもしれません。業務を深く知り、その課題をどうシステムに落とし込んでいくか。この思考のプロセスこそが、今、僕が一番やりがいと面白さを感じている部分です。 これは、入社前には想像もしていなかった、新しい発見でした。

挑戦の先に、なりたい自分を描く。バックエンドから、未来のリーダーへ。

岩城:最後に、今後の目標と、これからエンジニアを目指す学生さんへのメッセージをお願いします。

奥野:まずは、今進めているリアーキテクチャの取り組みを成功させることが一番の目標です。 このプロジェクトを成功させることで、技術的な課題を解消し、より早いスピードでユーザーに価値を届けられる状態を作りたい。そして、この『スポットバイトル』での挑戦が、会社全体の良い前例、ロールモデルのようになれたら嬉しいなと思っています。将来的には、チームを率いるリーダーのような立場にも挑戦していきたいですね。これからエンジニアを目指す方、特にディップに興味を持ってくれている方にお伝えしたいのは、「ディップは意欲さえあれば、いくらでも挑戦できる環境だ」ということです。 文系出身の僕が、バックエンドにとどまらず、これだけ多様な領域に挑戦できているのが何よりの証拠です。特にバックエンドという職種は、フロントエンドとインフラの間に位置し、システム全体のデータの流れを理解できる、非常に魅力的なポジションだと僕は思っています。 ここを起点にすれば、様々なキャリアパスを描くことが可能です。

「自分にはスキルがないから…」と諦める必要はまったくありません。大切なのは、学び続ける意欲と、新しいことに飛び込んでいく好奇心です。ディップには、その思いを全力で受け止め、成長を後押ししてくれる文化と仲間がいます。皆さんと一緒に働ける日を楽しみにしています。

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奥野志洋

バックエンドエンジニア 立教大学経済学部を卒業後、バックエンドエンジニアとして2024年新卒入社。「はたらこねっと」のバックエンド開発、「スポットバイトル」のクライアントが使う管理画面のバックエンド、フロントエンドの開発を経験。 現在は「スポットバイトル」のリアーキチームとして「スポットバイトル」のシステム全体のリアーキテクチャを行っている。 最近のマイブームは筋トレと好きなバンドのライブに行くこと。

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岩城 茉優

猫と甘いものが好き。